フランチェスコ・シャビエル

 スペインのバスク地方出身のフランチェスコ・シャビエル会士は、ナバール王国の王子でしたが、そのイエズス会の盟友のイグナテイウス・ド・ロヨラ卿とソルボンヌ大学留学中、そのイエズス会を創始しました。

 世界最古の大学であるソルボンヌ大学でルームメイトであった二人は、啓蒙の光としてのイルミナテイー(設立日が、5月1日のメーデーの日で、ルシフェルの日でもあります)としてイエズス会(ローマ法王の犬と蔑称されていた)を立ち上げ、フランチェスコ・シャビエルが、東洋の聖人としてポルトガルのサラゴサ条約での結果、南アフリカのケープタウンの喜望峰周りで、インドのゴア、東南アジアーフィリピンへと航海し、種子島、薩摩、北九州、そして長州、周防の大内氏(まだ毛利家は安芸国の豪族にしか過ぎませんでした)の庇護下で、キリスト教の布教をしましたが、長州の鍾乳洞の秋吉台で、その炭酸カルシウムである鍾乳洞の中で、今でもインドのゴアのザビエル卿の墓のある教会で、その御遺骸が腐敗せずに維持されていると言うのは、中国の島である三洲島で、そのザビエル卿が亡くなった時に、その御遺骸に石灰を掛ける事で、その燃焼促進(酸化させ、早く腐敗させようとした事が逆効果となり、その棺桶内の酸素の燃焼で二酸化炭素が生成され、密閉された空間で酸化しなかった事で、御遺骸が腐敗しなかった事と、炭酸カルシウム事態が石灰であり、大理石と同じように、鍾乳洞の炭酸カルシウムの空間と天岩戸としての天照大御神様の岩戸隠れの伝説で、アメリカFBIの捜査官であるマクモニーグルと言う方が、邪馬台国の女王卑弥呼の冬の保養地が、その長州の下関辺りに存在したと言う説を提唱しています。

 現在の法王猊下であるフランチェスコ法王は、そのイエズス会の出身であり、ローマのペテロとされた最後の法王と、12世紀のアイルランドの大司教のマエル・マエドック・ウル・モルガイルと言う方が残した予言書で、聖マラキ予言書と言う書物で、12世紀のセレステイン2世を初代として数えた時の110代目が、労働者の太陽とされたヨハネ・パウロ2世猊下であり、その後のベネデイクト16世(嘗てはドイツのナチズムの親衛隊にいたのが、そのベネデイクト16世猊下です)が、オリーブの栄光と予言された111代目で、112代目と12世紀から数えた代数で予言されたのが、ローマのペテロとされた現在のフランチェスコ法王です。

 ローマの建国は、双子の兄弟のロムルスとレムルスが争い、兄のロムルスが弟のレムルスを倒す事でローマの派遣を握りました。ロムルスとレムルスは火星の神であるマルスと妻のレア・シルヴィアの息子で、その双子が捨てられた後、狼に育てられましたが、狼=ウルフで、ヴォルフガングとドイツ語ではされますが、ヴォルフガング・ゲーテや、アマデウス・ヴォルフガング・モーツアルトや、ヴォルフガング・パウリ(ノーベル物理学賞受賞者)だったり、狼としてのウルフ=ヴォルフガングとして、従順な犬ではない狂暴な山犬としての狼であった彼らの暴走ー狼男現象のライカンスロープが、性欲が頭上に上昇する事(夜中まで起きているから、頭に満月の引力の影響で上昇してしまう欲望)を抑えるには、額にもある松果体が、頭のてっぺんにもあり、その部分を剃る(月代)ートンスラ=頭の天辺のお皿で河童ならば、お皿の天辺に水を掛けるのは、狂犬病に罹患した犬が水を怖がる事の応用で、頭の暴走を抑える(狂犬病は、今でも不治の病で、狂犬病になった場合の有効なワクチンが未だに完成していない事で、その治療薬が無い状態)為にお皿に水を掛ける教義のキリスト教のイエズス会があったなら、何故狼が犬になったか。ローマ法王の犬とまでされたイエズス会。法王の命令ならば、その絶対的な支配力で従順になっていたそのイエズス会が、イルミナテイ(秘密結社とされています)。

 ベネルクス三国で、ベルギー・ネーデルランド(オランダ)・ルクセンブルクで、ベネとは子供で、ルクスが光なので、光の子としての三つの国であるベネルクス三国が、ハフルブルク一族が、嘗てハプスブルク城(鷹の城の意味)に居住し、天空の鷹=ホルスとしてのホルス・アイならば、高い場所から望遠鏡で戦場を確認し、狼煙とは狼の煙でもあり、狼煙で情報伝達する日本の忍びだったり、戦国大名であったり、山々のネットワークで、山の頂上で鏡を使い、その鏡の反射で、日本全国の山々のネットワークで、ある意味光通信をする一族が、山々を駆け抜ける、天駆ける船としての情報伝達の素早さで、その意思疏通を図る事で、日本の隅々を支配していたのならば、卑弥呼に送られた鏡が、魏の倭王(魏に認められた倭の王に称号)も、三国志の魏の曹操の家系の皇帝に認可されたと言う事は、その三国志での劉備玄徳殿の蜀漢と呉の孫権、魏の曹操で、現在の中華人民共和国の母体である漢民族の漢と敵対していた魏(北魏の都が北京)から認められたのが邪馬台国だった訳ですが、大和朝廷と邪馬台国論争で、邪馬台国と魏が同盟し、その漢民族と敵対していたと言う事は、邪馬台国のあった場所には、漢民族の同族の名字の方の居留地が無い場所として、その当時の豪族の出身一族とその支配地域で、2世紀から3世紀で、一番その漢民族からの帰化人がいなかった場所に邪馬台国があった可能性があります。

 和歌山県の日前神社(ひのさきじんじゃ)とは、鏡の神を祀った神社ですが、ヤタの鏡を作る前に作ったもう一つの鏡を祀っている場所です。

 ただ卑弥呼の鏡とヤタの鏡が違う事。ヤタとは一タ=18センチで、8×18=144で、144000人の童貞の使徒を育てるキリスト教で、その啓示の書の黙示録でヨハネ=パトモス島のヨハネとされていますが、パトモス島にエウボイア島があり、大洪水後に、ドーリア人とイオニア人が移住した島で、その近くにアトランテイス大陸のモデルともされたサントリーニ島があります。 

 エウボイアの別名が、エビアンとかエビオン(エビアンの名称は、ユダヤ事典(東京堂出版)の中に記述があります)と呼び、エビアン派が戒律派としてイエス・キリスト時代も存在していました。エビアン派に属するのがクムラン教団のエッセネ派なので、そのエビアンとはエウボイアであり、エビ=水、アン=天で、フランス語では天の水の意味で、シュメール神話のエヌマ・エリシュと言うシュメール文明で一番神聖なる言葉が、そのエヌマ・エリシュと言う言葉、その意味が天の水の物語として知られ、旧約聖書の原典とされる旧約より古い文献なのです。

 イオニア人とドーリア人が、移住したエウボイア島でアルファベットを考案し、その神の名前(島の名前)をテトラグラマトンに隠したならば、YHWHがエウボイアと言う真の発音であるなら、間違いなくエホヴァと言う名前が間違いの発音である事になります。

 フランチェスコ会とは、イタリアのアッシジのフランチェスコが創始した会派で、その全身に目と羽が存在するセラフィムを幻視したとされる方で、裕福な商人の家柄に生まれながら、裕福な生活を捨て、極貧の生活から崇高な信仰を導き出した聖人であります。

 フランチエスコ自体が、フランク族としてのフランスの一族が関係する時、南フランスのプロヴァンス地方の沿岸に小舟で流れ着いたと言う伝説のメロヴィング一族が、メロ=海で、ヴィング=ワインで、ワインの海である言葉が夕焼けに染まる西の海である地中海へ小舟で漕ぎ出したマグダラのマリアの一族であった時、そのメロヴィングとは、夕焼けの赤い色を帯びた西の海=地中海を西に進み、南フランスまでたどり着いた一族が、フランス最初の統一王朝であるメロヴィング王家へと繋がるなら、その名族の血を引きいれようとしたナポレオン・ボナパルト1世が、セント・ヘレナで亡くなった時、その島での家族やボナパルト党の関係者が、イギリス軍の追っ手から逃れたのが、丁度日本の天保年間の老中水野忠邦公時代で、茨城である常陸国の大洗海岸に、赤毛の女性(宇宙人とも外国人とも)が、親書を携え、まるでUFOとされた船=虚舟で漂着した伝説と、その常陸国の水戸徳川家の家系に、あの美男子である徳川慶喜公が現れ、水戸の徳川斉昭(烈公)の七男で、一橋家の養子になって、その後、徳川宗家で15代将軍職を継がれましたが、慶喜公が模範としたのはフランス陸軍であり、フランスのあのルイ16世(マリー・アントワネットの夫)が、アメリカ独立戦争で、アメリカの東部13州の独立を支援し、その時イギリスと敵対しました。日米和親条約を結んだ井伊直弼大老が、島津家の篤姫様と連盟し、14代将軍職に推挙したのが、和歌山の紀伊徳川家の家茂公であり、14代の派閥が井伊直弼大老と島津家だった訳です。水戸の斉昭公と慶喜公、会津の松平容保公は、121代孝明天皇陛下の側で、禁裏守護衛総督として慶喜公がおり、そして松平容保公が京都守護職として新撰組を指揮し、幕末の維新戦争に発展した訳ですが、元々外国人嫌いの孝明天皇陛下の叡慮をおもんばかって、外国船を打ち払うと言う意味だった尊皇攘夷。異人嫌いの孝明天皇陛下を崇拝していた14代将軍徳川家茂公の派閥。

 孝明天皇陛下がご贔屓にしていた力士で、旭形亀太郎と言う方の名前から大坂麦酒が、現在のアサヒビールの社名の由来になったとも言い、そのアサヒビール工場がすぐ近くにあるのですが、直接自分に全く関係がない場所です。

 大阪発祥の大坂麦酒がアサヒビール。

 酒の鬼で思い出すのは、1997年5月神戸市児童殺傷事件の犯人が使った名前、酒鬼薔薇。

 彼は年少を出た後、関東近郊の工場勤務をしていると記事にあり、自伝のような小説を発売したようです。

 2020年5月に、大阪の松原で、女性指導員を小学2年生がバットで襲撃した事件があり、1997年のサカキバラ事件犯人の少年に憧れたとか言う2020年5月で小学年生が起こした事件があります。

 冤罪事件なのか、真犯人が何処か、神戸の中か、縁戚か近戚かの成人年齢に達した人間の身代わりで未成年の彼が犯人に仕立てあげられたのかはわかりませんが、都市伝説の本でセブンイレブンで販売していた本に、詳細に記載されてはいます。不可思議な都市伝説で、マツモトキヨシと言うドラッグストアのCMが流れなくなった原因の名前が、サカキバラ事件の真犯人と結びつくというような都市伝説の本だったと記憶してます。今から3年か4年前位の本です。

 孝明天皇陛下は、天然痘に罹患し、その治癒した後のお顔が、痘痕だらけで、ニキビを一杯潰した後が更に酷くなったようなお顔になってしまわれ、やはり肖像画を拝見すると美男子だったお顔が、その痘痕が残った事でお隠れにならざるを得なかったならば、実際暗殺犯人ともされている岩倉具視卿の妹君による毒殺説や、後の初代総理大臣である伊藤博文公による暗殺ではなく、本当は天然痘が治癒後のお姿に自分で姿を隠した=死んだ事にしただけなのではと考える事も出来ます。

 島津家の祖先の島津忠久公は、源 頼朝公と側室の丹後局との子供で、正室の北条政子殿に強いたげられた丹後局が鎌倉から落ち延び、逃げる途中の京都の伏見稲荷で産み落としたとされるのが、島津家初代の島津忠久公なのですが、伏見稲荷と伏見宮家(維新後の発表で、南朝系皇族との暴露もありましたが)で、伏見天皇とは91代で、88代後嵯峨帝、89代後深草(北朝)、90代が亀山帝(南朝)であり、89と90は兄弟同士の戦争だった訳です。兄と弟、どちらにつくかで、貴族や武士が別れ、日本を二分する合戦に発展した訳ですが、昔は天智天皇陛下(38代)と40代の天武天皇っ陛下の内乱で、39代弘文天皇(大友皇子)が天智天皇陛下の子供で、その大友皇子に反逆した叔父であるとされる大海人皇子で、その二人の間に持統天皇陛下(女帝)と額田大君がおられます。額田郡とは三河の額田郡にあり、そこは細川一族の治める土地でした。応仁の乱で、8代足利義政公側の細川一族と、山名宗全の西軍との戦いで、南北朝の争乱の時に、新田と足利で、新田系統が山名一族で、足利が北朝系として、その足利一門が細川一族なのです。

 桓武天皇陛下(50代)とその皇太弟であった早良親王殿下に着せられた反逆の汚名。兄が先に帝位に就いても跡継ぎが出来ない場合に、天皇陛下の弟を皇太弟として跡継ぎに指名した後、兄に世継ぎが出来た場合の、歴史のワンパターンでの内乱。

 桓武平氏の平 将門公の母親の地元である相馬地方で、この守谷の高野にも海善寺と言うお寺があり、将門公創建のお寺に間違いはありません。

 将門公が受け継ぐ名前が、相馬小次郎であり、代々受け継がれる名前です。ただその将門公反乱の承平・天慶の乱で、唯一助かった将国公が、土浦の桜川近辺の信太郡で生き延び、信太小太郎として一族を再興し、その後相馬師常公が、将門公が奪い取られた守谷の土地を平 貞盛公の子孫から奪い返した歴史があります。

 ですから、豊臣秀吉公の奥州仕置きで、浅野弾正長政公らがこの守谷の領有権を相馬一族から奪うまで、将門公の家系ともされる相馬一族(その後福島の会津近辺の相馬中村藩として存続。ただ幕末の最後の藩主が、毒殺されそうになったとの訴えを、錦織(?)と言う忠実な家臣だった方が、その最後の藩主が精神病院に入れられてしまった後、その藩主の親戚を訴える裁判で、元藩主の財産を取り戻そうとした相事件がありました。

 信太小太郎である平 将国公が、安部晴明公であるとの伝承が、ウイキペデイアで平 将国で検索すると、その安部晴明公伝説との関係記述が検索出来ます。

 陰陽師の安部晴明公が付いたのが、藤原道長公で、その兄の道隆公の側が清少納言殿の枕草子であり、日記形式での事実との関係と、その対立派閥の道長公の側の紫式部さんの源氏物語と言う恋愛物語との符号も詠み解く事が出来るかもしれません。

 道隆公の庶子の藤原道宗公とは、叔父の道長公に恐れられ、兄の道隆公が、山に逃がした(捨てたとは言葉が悪いですが)後、山の民であるサンカ一族中興の祖の乱裁道宗として、サンカの頭領になっています。

 サンカ一族対陰陽師の構図。山(天)と大地(土御門一族=安部一族)。

 富士山の火口が塞がっているとして、ニュートリノは全てを突き抜けて透過しますが、マグマ活動を観測するミュー粒子とニュートリノの関係で、ミュー粒子を加速し、高エネルギー状態でニュートリノへ集束しますが、マグマ活動の観測と、マグマを抑える理論が、ニュートリノが弱い力で中性子を電離化させる時、中性子が電子を放射し、陽子と電子に分離します。窒素がベータプラス崩壊をする時に、炭素14へ放射改変し、ガンマ線を放射します。

 ガンマ線の半減期が5730年でありますが、炭素14が炭素13か窒素14へ戻る時、その炭素14が半減する時に潜熱で水を生成する時、丁度電離層で核反応を示し、窒素が炭素14になり、その炭素14が窒素に戻る時に、水蒸気が一気に水分として空気中に出来た時に大量の雨が降った事が、大洪水に繋がったのなら、嘗ての地球の半径が1700キロで、現在6400キロで、直径が1万2800キロ×3.14で、約赤道円周4万キロメートルの計算になりますが、地球の膨張で、大気圏が上昇し、太陽光が電離層を形成する時に、その高度において、大気圏突入の光がアルファとした時に、たどり着く大地の座標がオメガだった時に、相対性理論が必ず要求する最初と最後の座標から中間地点の座標が特定される法則と、膨張する前の相対的な大気圏と大地との距離と高度と電離層の高度が、地球膨張で変化した時に、その大気の保有する水蒸気が、一気に水分として雨になって降り注いだ事が大洪水となったならば、天と地との距離の変化。 

 また大地から上空に放射された光(電磁波)を上空のヘリコプターの下に付けた鏡で反射させた時、そのオメガの高度を更に引き上げた時、理論上その空域に雨が降る可能性もあります。

 また相対的な距離とガウスの法則で、例えばシグマ・フォースシリーズ(ジェイムズ・ロリンズと言うアメリカのSF小説家のシグマ・シリーズ)と、シグマ(総計)=サムとして、1から100までの数字を足した場合の合計数を簡単に出す計算で、1+100=101、2+99=101、3+98=101なので、101×50セットは5050とすぐに出ますが、その中間の数字のペアである50と51(任意の整数での中間座標の数字のペア)で、50と51を分数としての波長と周波数とのログ関係で、その分数の分母と分子を逆転させる逆数で、その波長と周波数が、分数×その逆数で必ず1になるか、また中間数字が同じ数字のペアになる時に、紐が円になるのは、紐(直線としてのアルファとオメガ)でそれが振動する時に、紐(ストリング)がサークル(円)になる時、その内部が空間としての無(ゼロ)が抱える振動エネルギーで満ちた時に生まれる素粒子がその振動を電荷的に中和するようなアップクオーク振動とダウンクオーク振動で生まれる素粒子理論にも繋がる可能性があります。

 現代物理学で認めていないタキオン粒子が、エネルギーを失うにつれて速度が速くなる反比例の関係が、相対性理論での中間座標からの逆転(逆数)で、その中間座標を超えると、波長が長くなる=エネルギーを失う=赤い方向へ光がシフトする現象が、見かけ状の宇宙膨張であり、実際アインシュタイン博士が提唱したのは定常宇宙論であり、ハッブルの観測データがインフレーションモデルの根拠とされた時、その定常宇宙モデルの宇宙項(実際に斥力としての反作用が、宇宙の中間座標で、宇宙を固定するダークエネルギーとして何も無い空間であるグレートウオールが、その宇宙項と斥力として、相対的な光の波動がぶつかる中間座標でのエネルギーがE=MC2乗の波長として、光がぶつかる事でのエネルギーが核兵器に転用されたのであり、明らかに爆心地上空の空間に重力異常の空域があり、そこがまるで何でも吸い込むような空間の現象(なんだコレミステリーのような、ロシアの異常吸入空域の映像などもそうかもしれません)。

 

 最新の実験で、プラズマ格子状態の空間が、電磁波の1ヘルツを放射する事が確かめられ、プラズマ格子の正と負の電荷が正方形を形作る時、地球の万有引力と遠心力が1対1である時の合成ベクトルと、直角二等辺三角形の三角比の1対1対√2で、一辺が√2の正方形の面積が持つ内在エネルギーと、その電磁波の1ヘルツの波長の微分係数が傾きとしての√2の微分係数が面積を電磁場として交差しあいながらのエネルギーが、お互いから衝突した

場合の衝撃力を平和利用をする事が必ず出来る筈です。電力エネルギーへの変換は、原子力エネルギーと同じで、熱を電気に変換する事か、熱で水を沸騰させて、その蒸気でタービンを回転させる事での発電は、火力発電でも同じです。

 直線上の電磁波の衝突をその中心部の鏡の壁面を持つ物体のその壁面に沿って、電磁波の直線を湾曲させた場合、その直線上の中間座標でのダークエネルギーがある意味そこからの衝撃力が実際のインフレーション膨張(急激な膨張力としての意味)の特異点となった場合、後方(リング状になった電磁波の中間座標のダークエネルギー=斥力が、後方へ放射される時の推進力が、地球上でも宇宙空間でも新たなるフライト推進システムの理論になりえるかもしれません。

 私が通学していた埼玉県浦和市(現在さいたま市)の国立埼玉大学には、先輩に梶田隆章教授(ノーベル物理学賞受賞者)がおられ、埼玉大学理工学部を卒業された後、東京大学宇宙物理研究所へ入所されています。

 私の在学当時の学長も、東京大学の教育学部長だった方が埼玉大学の学長に就任しておられ、嘗ては天下の浦和高校(天下の浦高)と呼ばれ、公立高校で最も優秀な高校と、東京第一高等学校と並び称される優秀高校を母体とする大学で、東京大学の埼玉浦和キャンパスとなる所を、一県一国立大学の新制大学としてスタートした国立二期校(一期校は帝国大学)でした。

 詩人の先輩でもある銀色夏生(なつおと読みますが、女性の詩人です)先生も、埼玉大学の先輩で、私の母方の親戚で昔千葉県柏市に在住しておられた作詞家の岡 としお先生も、親戚の瀬尾絡みの遠縁に当たる方です。高校三年生を歌った舟木一夫さんの歌を作詞された方ですが、その舟木一族出身とされるのが、あの天海大僧正で、俗説の方が明智光秀公説で、歴史で有名な新人物往来社の本でも、学界論議されているのは、その会津の黒川出身の芦名一族の舟木家の出であるのが、天海大僧正だと言う説があります。

 会津の舟木一族からの天海大僧正と幕末のもう一人の坂本龍馬さんとされる山本一馬さん。

 また明智光秀公の従兄弟で、明智秀満公の庶子の太郎五郎を先祖として祀る才谷屋の坂本家。坂本龍馬さんも、明智一族であり、幕末の天海大僧正の候補の家系が二つ。

 何故維新が成功したかは、水戸徳川家に残された家訓が、もし天皇家と徳川将軍家が合戦になった時、水戸徳川は天皇家側につく事が家訓として残されており、その事実を知っていた人であれば、水戸徳川から一橋家を経て、将軍となった慶喜公が、天皇家に反逆する訳がない事が容易に想像出来、水戸徳川から将軍が出た時に、必ず幕府が瓦解し、恐らく大政を奉還するであろう事は、当然勝 麟太郎=勝 安房守(森 林太郎=森 鴎外ー陸軍医総監)先生は当然ご存じであったでしょうから、14代宗家に家茂公を紀伊徳川家から迎え入れた側の、井伊直弼公、島津家の篤姫殿のご意志として幕府瓦解を避ける為の跡目相続だった筈です。

 井伊直弼公の井伊家の下屋敷跡が、現在の明治神宮、明治神宮球場、秩父宮ラグビー場で、東京ドームのある場所が、水戸徳川家の屋敷跡です。

 明治神宮と東京ドーム。井伊家と水戸家。桜田門外の変。水戸脱藩浪士と天狗党。加波山(筑波山の裏側で、日本一客が少ないとされる動物テーマパークのある加波山で決起した天狗党の天狗党事件。

 天狗小僧寅吉の話を残した賀茂真淵殿に師事したのが、田安宗武公ですが、吉宗公の御三卿で、田安、一橋、清水家で、現在の徳川宗家はその田安家です。

 16代徳川家達(いえさと)公が田安家から徳川宗家後継ぎとなり、前宗家だった方は薨去されましたが、東南アジア系の奥様がいた方でした。

 秋篠宮様にタイにお子様がおられる事を秋篠宮様が告白された事は周知の事実ですが、東南アジア、東アジアへ伝導されたフランチェスコ・シャビエル卿の思いが、正直に告白と言う、罪の懺悔、贖罪、コンヒサンの教えが東アジアに息づいている証拠なのかもしれません。

篁石碁というペンネームと本名 飯沼孝行と言う人間を上から下から自分で語る為のblog

SF小説とHなファンタジー小説まで書く正体不明なフリーランスのオジサン作家を自分で説明するブログ。  自慢できるものと隠したいものと、自分が認める恥さえも小説にすれば美学になるのだろうかと欠点美化する時、若者のフリした詩的作風も、結局自分の虚像。言葉と写真で知る存在と、自分本人知る人と、正体不明な自分を言葉で定義出来る存在は同居する親だけ。