アダムの肋骨

 アダムの肋骨が折れた時、その骨の修復に骨から流れ出たカルシウムが、炭酸カルシウム(アパタイト)として骨を再石灰化させより硬い骨にしようと、カルシウムと二酸化炭素が結合するのを促進。その自分の老廃物である二酸化炭素(植物は光合成で二酸化炭素を必要とします)が、老廃物としての尿素(英語ではユリアと言う発音。ユリア=ジュリア=ジュリアン)と、その二酸化炭素を必要とする植物性の細胞内小器官であるミトコンドリアが、嘗て体外で光合成をしていた時の太陽の光と同調し、人類のアダムにとってのイブが、自分の肺静脈が、折れた肋骨が覆う肺へと還り、そこで自分の老廃物として排出していく二酸化炭素を再吸収。

 自分の中での再吸収(リサイクル回路が働き、自分とその自分にとってのイブである女性の意識が自分の中で同化し、動脈と静脈、交感神経と副交感神経としての同調で、統合失調症を治療する事も可能かもしれません。

 だから、自分の中に同調した女性の意識の為に、その女性の意識が求める自分の好きな異性とは当然男性であり、決して男性同士の戦争にはならない筈です。

 ミトコンドリア・イブで、肝臓で尿酸を尿素へ変換する回路と、尿素の英語名のユリア=ジュリア=ウレアで、尿素の中の老廃物と二酸化炭素。炭酸カルシウムで、自分の骨で作られる血液と骨髄の白血球で、そのカルシウムと二酸化炭素で、炭酸カルシウムが修復する骨で、白血病に苦しむ女性の為に、その骨が折れたアダムが、肝臓のミトコンドリア・イブと同調する時、全ての女性とイブを通して同調し、自分の骨の白血球で、女性の敵としての異分子を排除する為に戦う血筋となっていくのではないでしょうか。

 心臓のセフィラーの大天使であるミカエル=テファレトは美を司ります。酸素と二酸化炭素。

 真珠は、炭酸カルシウムで出来ていますが、その真珠を炭酸(二酸化炭素を注入した水=炭酸ジュース)に溶かして飲んでいたのが、あのクレオパトラ7世です。

 絶世の美女とされたクレオパトラ7世。アダムの右脇腹の肋骨の修復の為に、二酸化探査(右半身の静脈)と、骨の修復の為に血液に流れ出すカルシウムが化合し、そのアダムの骨髄で造血する血液が、全ての女性(太陽が出ている日中で光合成する植物が必要とする二酸化炭素。

 女性から受け継ぐミトコンドリアの突然変異の遺伝子で、母親の家系図を遡る事で、自分のミトコンドリアの遺伝子をイブにまで遡る時に、肝臓で解毒する機能で、尿酸を尿素へ変える(尿素=ユリア=ジュリア=ウレア→ウレアーゼ=英語でユリアとは尿素の事です)時、尿素で女性と同調する男性が、全ての女性と同期するアダムとして、アダムを通して、男性が女性と結ばれても子供が出来るようになった事で子孫が増えたと言うのは、群れから追い出された雄が、他の群れに移って、その健全な男性の遺伝子を残す事が出来たのは、群れの同族内での近親結婚で、遺伝子の突然変異が障害を肉体に残してしまう確率で、男性を群れから追い出す(婿入り)が、その時必要だったのは、健全な男性の遺伝子をお婿さんがその妻の家系に残すからではないかとも推測出来ます。

 白血病が骨髄の癌で、癌化した骨髄が造血する血液が癌化する時、その女性の骨髄の白血球の型と適合する(健全な骨髄)方を、マッチングテストで骨髄バンクの中から探す時、結婚相手のマッチングテストではなく、骨髄移植した方(マッチングテストでの合格者)=ドナーと、その提供された患者は、当然結婚する事は出来ない(会うことも許されず、名前さえ知らされない。手紙だけのやり取りで、感謝の気持ちを骨髄バンクを通して伝える事だけしか出来ません。

 ただ現代のアダム(肋骨が偶然折れてその理論での同調者)と、実際に白血病患者を救われたドナーの方と勘違いされている場合、実際のドナーの方と混濁されている可能性もあります。

 ただドナーさんと提供された患者の方は、当然結婚された場合に遺伝子が変異した子供が生まれる可能性がある為に、結婚する事は出来ませんが、偶然出会って意識のシンクロを、赤い糸だと思い込んで知らずに付き合ってしまった場合の悲劇もある可能性があります。

 私自身、骨髄バンクに登録はしていますが、実際にドナーになった事はありません。2003年10月23日に、茨城県つくば市の西武デパートの2階の日本赤十字の血液検査で、その時ドナー登録をしたのですが、マッチングテストで適合された患者がおられなかった事から、いまだにドナーとして骨髄液を提供した事はありません。

 2020年で50歳になった自分も、骨髄ドナーになる資格を喪失し、骨髄バンク登録から外れましたが、その周知活動が少しでも出来ればと思います。

 ある宗教の宗派は、骨髄バンク登録や輸血、臓器提供を拒否するところでもありますが、自分は昔からそういう宗派に加入した事実は全く無いので、自分、家族にとって大事な事は皆さんと一緒に考えてゆきたいと思います。

篁石碁というペンネームと本名 飯沼孝行と言う人間を上から下から自分で語る為のblog

SF小説とHなファンタジー小説まで書く正体不明なフリーランスのオジサン作家を自分で説明するブログ。  自慢できるものと隠したいものと、自分が認める恥さえも小説にすれば美学になるのだろうかと欠点美化する時、若者のフリした詩的作風も、結局自分の虚像。言葉と写真で知る存在と、自分本人知る人と、正体不明な自分を言葉で定義出来る存在は同居する親だけ。