「百済と新羅問題と日本の天智・天武天皇陛下との兄弟の相克=政争」
「百済と新羅問題と日本の天智・天武天皇陛下との兄弟の相克=政争」
令和1年6月8日午後10時22分~
飯沼孝行(昭和45年7月28日生まれ)
茨城県守谷市野木崎1206-3
最終学歴ー国立埼玉大学教育学部小学校教員養成課程社会専修(専門履修科目)
江戸川学園取手高等学校3年32組(文系三類コース)平成元年卒業
その年の11月にアサヒビール茨城工場建設予定地に入った地域にあった住居を転居し、新築までの仮住まいが野木崎1200で、自分は母方の祖母の家があった高野345に居候(そこから新大利根有料道路経由で北柏駅の常磐各駅から新松戸で武蔵野線。武蔵浦和で埼京線の南与野までのJR定期(まだほとんどの発行された定期券を保存)
最寄り駅は常総線守谷駅ではなく、新大利根有料道路経由で利根川の対岸の北柏駅(常磐各駅ー地下鉄千代田線に連結)
白村江の戦いで天智天皇陛下(38代)は百済支援の為に派兵しましたが、百済・日本の連合軍は、唐・新羅の連合軍に敗北してしまいました。
百済と新羅は元々兄弟王朝で、日本でも放映された「朱蒙(チュモン)」で、満蒙の扶余王国王家の、沸流(兄)と温祚(弟)がそれぞれ新羅と百済の王家の始祖となっています。
聖徳太子を百済の聖明王と同一視していた日本仏教の伝道者とする場合、秦 河勝公の出自が新羅とされる歴史的な見方では、当然百済と新羅の政治的な闘争が繰り返される流れになっていた必然の結果が、聖徳太子の悲劇的な死と山背大兄皇子の一族の集団自決と悲劇になってしまった経緯があります。
天武天皇と同一視されている漢皇子は、天智天皇より4歳年上ですが、庶子と嫡子の問題で帝位を継承したのが、実際年齢で年下ですが嫡子であった天智天皇陛下という見方を歴史家の方がしておられる歴史読本での記述もありました。
天智天皇陛下の家系図で、桓武天皇陛下が天智系の京都へ遷都をされ、天武天皇陛下の奈良の都、藤原京だったり、奈良京だったり、南朝系と後世にされる奈良と京都をつなぐ三本足の大通りは、上道、中道、下道(しもつみち)とあり、吉備真備の一族は下道という事実もありますが、三本足の八咫烏にとっての本当の暗号にしても、三本足が、午後4時の申刻、午後6時の酉刻、午後8時の戌刻の夕方の三本足(12干支で24時間なので、一刻が2時間割り当て。
宵の明星をミカエルと言い、明けの明星をルシフェルといいますが、カナンの土地を追われたヘブライのイスラエル10支族が、東へ逃避行(放浪の民=ヘブルの民)した経緯は、東へ逃げる時の天の目印は、明け方の金星であり、決してルシフェル信仰が悪魔信仰などではなく、東の方向を確認する為の目印だっただけであり、西の世界の宵の明星とは、何れ東から西の故郷(カナンの土地への帰還を果たす為の軍隊の長として、宵の明星=ミカエルとしてのイエス・キリストだった筈です。
ミスラ=ミトラ=ミロク=マイトレーヤは決してイエス・キリストではないのは、ローマのミトラス教がそもそも存在し、そのミトラス教を追い出したのがキリスト教であり、キリスト教布教以前のローマの宗教がミトラス教(牛の生贄を禁止にしている宗教)であり、拝火教(ゾロアスター教のミスラ=ミトラが、友愛の大天使としての、牛の生贄を禁止にした鳥信仰の宗教であり、そのペルシャの地域を通過し、ヒンズイー教のインド地域を通過する為には、牛の生贄を禁止(牛を食べない宗教戒律を守る事が必要になると、ヘブライのイスラエル10支族の中でも、ガド=グド=牛の意味のガド一族を立てて、牛信仰=牛を食べない教義を遵守せねば、インドより東へ通過する事も出来ずに、その地域で滅亡させられていた筈です。
鳥葬のあるラマ教、チベット仏教で、ハゲワシにご遺体を食べさせる風習のあるチベット地域で、その天使の羽とは、鷲と人間の融合でもあり、その天使の姿に羽があるのも、鳥葬にその理由があるからであろうとの論考を大分前に出版社へ送付した経緯もあります。
ミトラ=マイトレーヤとは決してイエス・キリストではないのは、牛信仰のエジプトからエグゾダス(エグザイルの語源も、脱出の意味で、出エジプトがエグゾダスという単語でありますが、黄金の子牛の像の破壊は、カインの一族ではない証拠として、神に愛されたアベルの一族に戻る意思をヘブライ一族として証明した事実として認識すると、医学的には、人間の肉体のたんぱく質と牛のたんぱく質の相似において、同化と異化の関係が、異質なたんぱく質を消化して異化させる為に、異化と同化が曖昧な牛の肉を食べる事で、他の動物の異質なるたんぱく質を消化し、吸収できる人間となる為に、アダム・メーソンに授けられた食料戒律=カシュルートがその牛の燔祭であったと想定すると、カインの一族が菜食主義で、肉類を食べず、農耕民族として牛を使役し、畑や水田を耕す労働力として家畜化し、牧畜(羊の場合の羊毛や、食料としての家畜ではないので、その頭数が増える=食べないから)として肉牛にしなかったカインの一族が、アベルと分離した歴史があります。
イサクの息子で、エサウとヤコブの双子は、狩人のエサウと羊飼いであったヤコブの兄弟で、ヤコブの理想が菜食主義の世界で、メシア(ヘブライ語では「ハ メシャフ(ハはヘブライ語の定冠詞。ヘが、ギリシャ語の定冠詞)」メシア到来後の世界では野菜や果実が中心の食べ物になるとの世界観をヤコブは持っていました。
双子で逆子の難産を避ける為に、ヘブライ語でヤコブ(踵の意味)が、先に生まれ出たエサウ(兄)の踵を掴んでいたから、子宮から産道を頭から出た事で安産になったという解釈であれば、エサウ(エドム=エビス=エブス=夷とヤコブの相克は解消出来るかもしれません。
イシュマエル12支族とは、そのイサクの庶兄子で、アブラムとサライの夫婦が、子供に恵まれない時、サライの奴隷であったハガルをアブラムと結ばせ、そのアブラムとハガルの間に生まれたイシュマエルガアラブ民族の祖先になっています。
その後、東方から3人の旅人がアブラムとサライに改名をさせ、アブラアムとサラと名前を変えた二人にイサク(ヘブライ語で笑いの意味)が生まれたのですが、ミカエルは地獄が出来た時から笑いを無くしたとされています。イサクを失う事は、アブラハムの中でイサクが死んだ時(神に捧げなければならないと思いこんだ時)であり、神様に長子(初子)を捧げる儀式の中で、アブラハムがアブラムであった時に生まれたイシュマエルを自分の子供と認めれば、父の子としての長子のイシュマエルと、母の子(ユダヤ人の家系は母方の家系図で、母親がユダヤ人であることがユダヤ民族の狭義の家系図であった歴史)としての長子のイサクの間で、父の子と母の子。イエスの場合、バル・ヨセフか、バル・マリアであり、私生児とギリシャ側、またローマ側の戸籍で記す時に、母の子としてのバル・マリアと記載されていたとしても、実際は夫婦として結婚して、実際に二人の子供であったイエスも、戸籍上バル・マリアとしての子供であっても、決して私生児でもなく、戸籍上で記載のなかった父親を、イエスが大人になってから(ヨセフはイエスの成長過程で亡くなっていたから、イエスがエルサレムに戻ってきた時に、その父の家系を、アリマタヤ(エフライム族の土地)のヨセフ(パトロン)と勘違いしたピラト側が、そのエフライム族の土地名であるアリマタヤのヨセフをイエスの父と勘違いした時に、ユダ族のイエスであるはずの男がエフライム族の土地出身であるとの誤解を後で知ったピラトが、イエスの汚名(ユダ族であるとは嘘であるとの罪名)を払拭しようとしたのも、戸籍を遡る(源へ遡る=縦の系図)と横の繋がりの交叉が、十字架の横棒が一番上(T字十字架)なのか、それとも真ん中より少し上なのか、それとも逆T字型の図象なのか。
モーセ(レビ族)の後継ぎが、エフライム族のヨシュアであって、ヨシュア=イエシュア=ジョシュア=イエスであり、ヨシュアがカナンの土地へ斥候として入り込み、そこでその端正な容姿から娼婦のラハブと結ばれ、そのラハブがエリコの都市の門を内側から開錠し、ヘブライの軍隊を招きいれた歴史が旧約聖書の記されています。
ユダ族の樹とエフライムの樹が一つになるのは、エフライム族のヌンの子ヨシュアとユダ族のヨシュアが同一視されたバル・マリア、バル・ヨセフとしてのイエスによって、エゼキエル書の預言の成就があったなら、母方から辿るミトコンドリア・イブの原罪(一匹の雄のハーレムで、一夫一婦となる前の、雄の精子ミトコンドリア遺伝子が機能していない現代医学の常識(キラー遺伝子の場合、男性の精子ミコンドリアが機能している状態)が、母の子として遡るユダヤの源が、ハーレム(王が後宮を抱える事と同じ家族集団を出自とする一族である事で、ミトコンドリア・イブを特定させる為の一族として残された家系である事と、レビ族(コーヘン)に残る男性の遺伝子が、王のハーレムを叱る預言者の家系(ダビデの息子の一人のナタン=NASAが太陽の超巨大大陸に名付けたとされるナタンの名前)で、ダビデ王の不倫を叱ったナタンをイエスの祖先とするルカ書と、ソロモン王をイエスの祖先とするマタイ伝(マタイも収税人。イスカリオテのユダと同じ)で、新約聖書の矛盾が、神の経綸で書かれた物であるとの矛盾と、またその矛盾がある事自体で、歴史を通じて改竄がされていない証拠でもあり、その矛盾に気づかない人がいない訳がないのです。
ルカは医者であり、ラファエルは神の薬とされる大天使。
アダムとイブと食卓を共にし、アスモデウス(性欲の悪魔)の策略をアダムとイブに警告した大天使でありますが、パレスチナの土地のガザ地区内にそのラファという都市が存在します。
アダムとイブには多くの子供がおり、カインとアベルが失われた後(カインは逃避行。アベルはカインに殺害されてしまう)、二人の子供が失われた後で生まれたセツは、アダムにそっくりとされ、そのセツのスペルはテース(蛇の意味にもなります)。
二人の兄弟の争いと、その末弟。
嘗て日本の歴史で、兄ではなく弟(末弟)が帝位についていたのは、例えば王が20歳で産んだ子供が、王が50歳になった時には30歳。ただ王が45歳で作った子供がいて、その50歳で王が死去した時に、兄は30歳。末弟が5歳。ただ、30歳の王が後20年の帝位としか見込めない時に、末弟が帝位につけば、45年間の帝位が約束されれば、その間の王権争いでの内乱が避けられる可能性があるから、より在位期間が長そうな末弟が帝位を継承してきた日本の歴史があります。
天武天皇系の聖武天皇(奈良)と天智天皇系の桓武天皇の京都。
南北朝との争乱が、京都から南に伸びる三本の道で、南から北へ攻め込む軍隊はどうしても軍を3隊に分けねばならないのは、どこか1本だけを通り進軍しても、残りの2本の道を通り、北から南へ本隊のいない南の都へ侵攻出来る道の整備がされていたなら、絶対的に北が有利になっていた訳です。
大和朝廷と大和国(奈良県や和歌山近辺)で、柳生の地名も大和国にあり、大体柳生一族は、柳生大和守の官職名を受け継ぎます。
伊達陸奥守だったり、松平伊豆守だったり、下総守、松平上総介忠輝殿や、織田上総介信長公。織田右府とは右府とは右大臣の事で、内府とは内大臣の事で、徳川内府とは家康公の事ではあります。
上総介の名を持つ織田信長(キリスト教へ加担)と松平忠輝公もキリスト教との関連で、伊達政宗公の慶長遣欧使節で、正使としてのルイス・フライ・ソテロ(フランチェスコ会)と、副使の支倉六右衛門長経(ながつね)殿で、系図上で支倉常長になってはいますが、実際には長経の名を名乗っていたという説を、宝島社の本で、「支倉常長異聞」の本を1995年頃購入し、その本はまだ書棚にあります。
丁度オウム真理教の地下鉄サリン事件のあった丁度一週間前に千代田線(地下鉄)常磐各駅から千代田線で、渋谷の大盛堂書店で購入した本の一冊だと覚えています。
一週間前倒しで千代田線を使って渋谷駅まで行ったので、予定通りにだったら地下鉄サリン事件に巻き込まれていた筈です。
神戸の大地震後。
代々木アニメーション絡みで後のサカキバラ事件(神戸市)の関係者が通学していたような都市伝説絡みの本もセブンイレブンで数年前に販売してましたが、立ち読みし、その事件の背後に新興宗教絡みのオウム事件の関係者が代々木アニメーション絡みで通学し、その怨恨絡みで起きた地下鉄サリン事件だとしたら、巻き込まれかけた自分以外に、その
当時の代々木アニメーション学院の関係者や代々木駅絡みの関係者が恨まれていたと言えなくもないですが、自分も小説家としてweb作家活動をする中、ミステリー事件の真相を探るような真似と言われてもおかしくないですが、やはり事実の裏の真実は明白にすべきだとは誰しも思うので、一推論としてしか記載する事はありません。
声優科への恨みかノベルズ科への恨みか。全体を恨んでいるのか、京都アニメーションで起きた事件にしても、やはり盗作絡みで恨みがあっても、これは先に映像化したり、実現した方が勝ちでもある世界。
自分が考えた事は人も考えられる訳で、同じようなシチュエーションだけ作品から看取したとしても、全体を盗作した訳ではないと、裁判で同じ箇所が幾つあるかの盗作裁判で分かる通り。
全部をそのままコピーし、そのまま発売したり、出版社へ送付したら、完全に盗作というより、窃盗であって、盗んだデータ(コピーにしても)をそのまま出版社へ送付したら、それはばれます。
自分が2001年、2002年電撃HP短編賞へ送付したデータを楽天ブログ(BDー1)、アメブロ(龍機魔女)等、数作品を他人に貸した事が間違いだった事に気付いても、その時はどうしようもなく、2020年、2021年になってようやく自分の名誉回復が出来てきた次第です。
1995年当時、大盛堂書店で購入したサンカ関連の本は、その当時隆 慶一郎先生の著作に影響を受けた本を執筆する為の参考文献にする為。
まだ大学卒業してすぐの頃なので、その文体も少し難解な文体だったと思いますが、その後ファンタジー小説に鞍替えしてしまったので、文体もわかりやすい青少年向けの漫画原作のようなファンタジー(ヤングアダルトとは、青少年向けのファンタジー小説の事ですから、決して青少年向けのポルノ小説の事ではないです)を書いていた時、文体はやはり青少年向け、小中高校生向けでした。
ノアズアークも2003年、2004年当時の執筆だったので、まだファンタジーの文体でした。
最上義光公の妹のお東の方の息子、政宗公と竺丸殿。母と弟で、政宗公を毒殺しようとした暗殺未遂事件と、父輝宗公。
右目を疱瘡で失ったとされる政宗公の御遺骨の右眼窩には小刀による傷がついてなかったの、後世昭和時代の発掘調査で分かった事実があるようですが、右目は左脳に繋がり、左脳は右半身を司ります。右目の光が失われ、言語機能を司る左脳の言語障害は、言葉の吃音であったり、左脳と通じる左耳の聴覚神経で、イエスは神様の右側に座しているというのは、イエスの左側に神様がおられれば、イエスの左耳と左脳が、神の言葉を隣で聞く事になり、ロゴスとしての存在は、イエスの左耳が、通常人間の聴覚で聞きやすい周波数であるとの実験(角田忠信博士ー東京医科歯科大学)で、1~99ヘルツまでとされ、祈りの言葉の「アーメン」のスペルを数値化した合計数が、ゲマトリア数秘術としての文字の数値化ーシグマ(総計ーSUM)で99を持ち、アーメン自体の数字が99なのです。99歳でアブラハムが作った息子イサク。
兄政宗公は母、お東の方に愛されず、輝宗公の薫陶を受け、男として成長。
母に愛された弟、竺丸は母の耽溺で、なよ竹のような優しさはあっても、強くあるべき武将の器ではなかった事。
精神的に強い兄と、精神的な弱さを内在させた弟は、他害行為に慣れていない現実とぶつかる事で、精神的な脆弱性を見せてしまうような、戦国武将の器ではない品格を、父輝宗公は見破っていたのでしょう。
兄弟の相克はいつの時代、王家、家族間で戦争へ発展してしまう因子となるのは、神話を勉強すると分かります。
神話は様々な闘争、心理のモデル。
真の心理が既に神話として存在する時、新たなる真理など殆どある訳もない中、ただ歴史と神話の融合を科学的に連関させる事は、これからも重要だと筆者は感じます。
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